これは1995年頃、私が出張先で体験した話です。
当時私は、中部地方のプラントに納めるシステムを開発するプロジェクトのPL(プロジェクトリーダー)を担当していました。
工場でシステムを開発し終わると出荷し、あとは現地試験というのをやります。
現地試験中は、現地に現場班長(所謂現場監督です)を配置し、その現場班長に現地の日常の管理は任せ、PLである私は現地と会社との間を何度も往復することになります。
現地試験に入った約1ヶ月後、私は現地へ行く必要が生じました。
そこで、いつも現地メンバーが泊まっているビジネスホテルを予約しようとしたのですが、その日は満室とのことで予約できませんでした。
実はその宿は地元では有名なサーファーのメッカと言われる海岸に隣接しており、普段は閑散としているのに、冬に開かれる大会の時だけは満室になるのです。
仕方なく少し離れた街の宿を確保していたのですが、出張当日の朝、念のためいつものビジネスホテルに空室状況を確認してみると、1室だけ空きができたとのこと。
これはラッキー。
いつものビジネスホテルは場所や宿泊費等条件が良いので、いつものビジネスホテルの方に泊まることにしました。
その日の夜、ビジネスホテルに着いて渡された鍵は204号室のものでした。
私は少しドキリとしました。
この204号室には少し嫌な噂があったのです。
私の現地プロジェクトチームは総勢10名程度居たのに対し、そのビジネスホテルの部屋数は16室。
頻繁に出入りするメンバーも居るので、自然と部屋をローテーションすることになります。
1ヶ月もすれば、全ての部屋にメンバーの誰か泊まることになるのが普通です。
ところが、その204号室だけは誰も泊まったことがなかったのです。
メンバーの間では、「末尾に4が付いてる部屋は不吉だから倉庫にでもしてるんじゃないの?」、「いやいや104号室は普通に泊めてるやん。」とか、話してました。
いつの間にか、我々の間では204号室を「あかずの間」と呼ぶようになっていました。
とはいえ、いい大人が「そんな噂があるから、204号室は嫌。」とも言えず、仕方なく私は204号室に泊まることになりました。
部屋に入り、私は1時間ばかりテレビを観て過ごしていました。
その時私が見ていたのはバラエティー番組で、一人で大笑いしていたのですが、なぜか窓の方が気になり始めたのです。
誰か部屋の中を覗いてる!
目の端で窓の方を見てみると、カーテンが5cmくらい開いており、そこから誰かが覗いている気配がするのです。
しかも、じ~っと凝視。
考えてみればここは2階。
窓の向こうは段差を下って100mくらいは田んぼが続き、その間には建物ひとつ無い景色であることを思い出してました。
ベランダもなく、隣の部屋の窓とは3mくらいは離れてるし、とても人が顔を覗かせられるような環境にはないのです。
あまりに気持ち悪く、テレビを見て楽しんでいる心境ではありません。
私は気分を一新するため、風呂に入ることにしました。
風呂に入ってしまえば気分もすっきり。
風呂上りに例の窓を見ると、やはり5cmくらいカーテンの隙間が開いてましたが、誰も覗いてないようです。
そこで、窓に近づいてカーテンをシャッと閉めました。
私はまたテレビを見始めました。
しばらくすると、今度は「ガンガン」と金属をたたくような音がし始めました。
また、たまに壁をたたくような音も聞こえます。
時間はランダムですが、おおよそ15分~30分くらい間をおいて鳴っているようです。
最初はそんなに気にならなかったのですが、夜中になるにしたがって、だんだんとその音が大きくなってきます。
それでも明日は仕事。
とにかく寝ないと話しになりません。
1時には寝床につきました。
その後もその物音は続きます。
そんな物音のなか、正直なかなか寝付けなかったのですが、とりあえず3時くらいには寝入っていたようです。
明るくなり始めたころ、またその音がして起きました。
音はさらに大きく、激しくなってました。
そして、6時半頃、「ドドーン!」と物凄い勢いで扉を閉めるような音がして、建物が揺れるような衝撃までありました。
正直、尋常じゃありません。
私のプロジェクトのメンバーがそんな音を立てるとは思えません。
しかし、他の客が原因かもしれません。
私は「とんでもなくうるさい客が居たもんだ。」と腹を立てていました。
明日もこんなことがあったらオーナーに言って止めさせよう、そのとき私はそう考えていたのです。
少々寝不足のまま職場へ。
私は客先への挨拶を済ませ、朝礼の時間になりました。
現場班長を中心に当日の実施事項確認やKYが進められていきます。
最後に私の方から連絡事項を伝え、メンバーを見渡すと、1名足りません。
私「あれ? Sはどうした。まさか遅刻ちゃうやろな。」
班長「Kさん(私)聞いてません? Sさん昨日帰りましたよ。」
班長から話を聞いてみると、以下のようなことが分かりました。
昨日私が宿泊する前、204号室にはSが宿泊していたそうです。
Sは「あの部屋出る。ほんまになんか居る。」と言い、「気分が悪いので帰る。」と言い残して、自宅に帰ったそうなのです。
Sが真っ青な顔をしていたので、少なくとも体調が悪いのは間違いなさそうだということで、班長はSを帰したそうです。
そのような経緯でキャンセルされた204号室に、昨夜私が泊まったということがわかったのです。
「マジそれ!」
私はメンバーに昨夜の体験を話しました。
メンバーは「Sさんが言ってたのほんまやったんや。」と言い始めました。
どうやら、Sも私と同じような体験をしたと、他のメンバーに洩らしていたそうなのです。
しかも、私の部屋の両隣斜め下の4部屋に私のプロジェクトのメンバーが宿泊しているのですが、私が聞いたような物音は一切聞いてないというのです。
特に6時半のあの「ドドーン!」すら聞いてないと…。
さすがにそれは有り得ない。
さすがに2名もこんな体験をしたことが分かると、そんなホテルには泊まってられない、ということになりました。
その後数日かけ、メンバー全員他の宿に引越したのでした。
他の宿は条件が劣るのですが、そんな贅沢を言ってられる状況ではありません。
私は、多い年だと年間の3分の1くらい外泊することもあるので、かなりの宿に泊まってきてますが、さすがにこんな経験は初めてです。
後日談
その後Sは2度と出社することはありませんでした。
そのまま出社することなく会社を辞めてしまいました。
今も連絡も付かないままです。
彼はあの部屋でいったいどんな体験をしたのか、今となっては藪の中。
少なくとも、私の体験以上の何かがあったのでしょう。
もしかすると、彼は窓の外の視線をまともに見てしまったのかもしれません。